2009/01/31

35歳か

1月29日で35歳になった。
僕のいとこも1月29日生まれで、亡くなった伯父も1月29日生まれだった。
祖父は1月26日。何故だかこの辺に集中しているのだ。近い親戚で同じ誕生日が3人って結構珍しいんじゃないか。

さて2次面接だが、結果がまだ返ってこない。
いい時ってのは大抵すぐに何らかのレスポンスがあることが多いので、これはあまりよろしくない傾向であると考えてまず間違いないだろう。

別に負け惜しみとかではないが、おかげで部署移動の方に意識を集中できそうだ。
優先順位的に見れば、部署移動の方がいろんな意味で上なので、これはこれで結果オーライかと。まぁまだ落ちたと決まったわけではないけれど。

転職という選択肢は、基本的にいつでも考えてはいるが、あまり転職ばかりしているのはキャリア形成上あまりプラスではないと思うので、今のところには3年はいようと思っていた。が、2年経過した今、ここから学び取れるものの少なさとか、マネジメントのまずさとか、その他もろもろマズいところが増えてきている傾向にある。

悪い点が「見えてきた」とか言うのであれば、自分の中で何か現職に対する否定的な見方が首をもたげてきたとか、気持ちが萎えてきたとかあるだろうけど、まずい点が明らかに増えてきているという点が、今の会社あるいは事業部にいようという気持ちを完全に萎えさせている。

まぁそういうわけで、転職なのか転籍なのかわからないけど、今いる事業部から抜けることだけは間違いないだろうと思う。それに向けて頑張ろう。

2009/01/28

2次面接終わった。いろんな意味で。

さて、2次面接行ってきた。
前回と違って今回の手ごたえはすこぶる良くない。


やはり今回も前回と同様、何故か結構緊張しながらのスタートだった。
面接官は前回の人の上司にあたる人。第一印象は良くなかった。
何というか、冷たい印象というのか、偉ぶっている印象を受けた。面接終盤になって分かったが、恐らくそれは演じている部分があって、本質的には少しひねくれた、冗談の通じる関西人であると思う。


それはさておき、面接開始時から相当な時間緊張してしまっていたため、言うべきことの半分も言えなかったり、あらかじめ考えていた質問も一部しかできなかった。相当悔やまれる。


まだ落ちたと決まったわけではないが、まぁ結果は真摯に受け止め、改めてターゲットをきっちり定めてまた動いていこうと思う。


さて、それはそうと、僕は男が苦手である。
父親のいない環境で育ったせいではないかと自分で勝手に分析しているわけだが、つまり、父に叱られたり指導されたり褒められたり、とにかく目上の男性との繋がりがなかったのだ。その代わりと言っては何だが、目上・年上の女性に対しては、そういう苦手意識はまったくない。しかも母親は自他共に認めるほどのクセものだ。それと毎日対峙していたので、母親以外のオバサンなど恐るるに足らず、であった。

例えば、学生時代、誰からも大変恐れられている生活指導の先生がいた。相当怖いオバサンであった。しかしこの僕は、苦手どころか大変かわいがられていたほどであった。逆におっさんの生徒指導とはそういう関係は築けなかった。何というか、目上の男性との接し方が分からないのだ。その部分だけが見事に空白になっているというか。これがオバサンだと正確にツボをつける。何というか、地に足のついた対応ができるというか。

まぁそんなわけで、2次面接はやはり男性で、しかも取っ付きにくい印象の方であった。面接開始後10数分経ってもまだ緊張している。どうにもなかなかしっくり来ないのである。サラリーマンを今後もやっていくのであれば、このあたりは克服しておかないといけないなぁ、と思う点だ。

さて、2次面接が終わった以上、あとは待つだけである。まな板の上の鯉だ。

2009/01/26

カミングアウト

子育て真っ最中の親にとって、子どもが苦手であるということはちょっと致命的ですらある。僕がそうだ。ストレスみたいなものとはあまり縁がないと思っていたが、さにあらず。子ども、特に赤ん坊と接するのに大変なストレスを感じていたというのが正直なところだった。

そのことを今日、相方に話した。そしたら少し楽になった。

2009/01/24

レビューなぞ

さて、軸をブレさせないためにも、目標レビューしておこう。
  1. 100エントリー(今年こそ・・・)
  2. 何らかの形で年収アップ(転職・移籍etc.)
  3. 娘ボールを怒らない。
  4. 朝ちゃんと5時に起きる
  5. 本をもっと読む。具体的には月最低でも2冊ペースで
  6. (できれば)ジム再開
1. この調子で行こう。
2. とりあえず転職の話は順調に進んでいる。
3. 怒ってるなぁ・・・娘のことは目に入れても痛くないほど溺愛しているし、自分の命を賭してでも、という気持ちもある。しかし腹の立つことは腹立つし、生来の子供嫌いはいくら娘、息子といえどもいかんともしがたい。ま、こんなこと言ってもしょうがないので、これは修行と思ってやり抜くべし。。。
4. だめ、全然。不規則だし。まったくいいとこなし。やるべし。
5. 今は「生物と無生物のあいだ」という本を読んでいる。ものすごく面白いので、読後感想でも書いてみよう。
6. 目処はたっておりません。

いやー、改めて見返してみるとうまく行ってないなぁ。レビュー大事だね。
しっかりと、目標見失わないように時々ちゃんとレビューしながらフォローアップしていこう。

2009/01/23

面接結果など

水曜日、面接に行ってきた。

その筋の人々には結構名の知れた企業で、いわゆる独立系ソフトウェアベンダーの中では世界でもトップ10以内には入っているだけあって、オフィスのロケーションといい、ミーティングルームの雰囲気といい、なかなか上等な印象を受けた。

それはさておき、面接は結構好感触で進んだ。先方のオフィスに向かうエレベーターの中では、心臓の鼓動が激しくなって、気持ち悪くなるくらい緊張してしまったが、始まってみると面接官の人柄なんかも手伝って、結構スムーズにいろんな話をしたり聞いたりすることができた。

終わってから時計を見て気づいたことだけど、当初1時間弱を予定していたところが、1時間半ちょいまで長引いたのは、面接官も好感触を持ってくれたからだろう。面接していて、こりゃだめだと思う場合、あっけないくらい早く終わってしまうことが結構あるので、長引いたのはポジティブなサインだな、と楽観的に考える。一応面接の内容や自分の思ったところ、会社や相手の印象等を、この案件を紹介してくれたエージェントにメールで連絡を入れた。

その次の日、早速エージェントを通じて相手の会社から面接のフィードバックが帰ってきた。曰く、大変意欲が感じられ、このポジションに適切な人材であると感じた、だって。おお。これは予想以上の反応だ。今までの経験から、面接って受ける自分と選択する側(会社)では、持つ印象が全然違うことが少なくない。自分では100点以上の受け答え等をして、面接自体も非常にスムーズによい雰囲気でできたなと思った場合でも、「今回はご縁がなかったということで・・・」なんてことが平気で起こる。

しかし幸い今回はお互いの気持ちが一致したというか、ポジティブな印象を互いに受けることができたようだ。ま、とりあえず1次突破とは言え次は2次面接が待ち受けているわけで、今度は恐らく役員クラスによる面接だろう。気持ちを再度引き締めて望まねば。

またそれとは別に、前々から話のある部署移動について。先日VPとディレクターが日本に来ていて、とある客先との打ち合わせにアテンドさせてもらった。打ち合わせ後、今後の進め方みたいなことを簡単に説明してもらったが、まだ具体的なスケジュール等は未定の模様。

この部署移動に関しては、現時点では会社全体的にヘッドカウントが凍結されてしまっていることや、日本国内におけるローカルでのセールスサポートや導入支援などがどうしても必要になれば少し柔軟に対応するのだろうが、今のところ目だった進捗は見られない。か、前に進んでいるのは確か。

今までの経験上、こういう機会というかチャンスというか、そういったものは何故か一つ一つ順序良く来るのではなく、一気に来ることが多い気がする。他力本願的というか運命論者的に言えば(あまり好きではないが)、今はいわゆる人生の岐路にあるということなのだろう。どっちに進むか、あるいはまた別の機会がひょっこり現れるのかは分からないが、今の状態から変わることだけは間違いないだろう。

2009/01/19

面接

今週水曜にとある企業と面接。
某エージェントからの紹介案件で、仕事内容的にはなかなか魅力的な印象を持っている。企業として見た場合も、しっかりとした、IT業界では老舗と言ってもいい会社である。もし縁があればそこに行ってやってみたいという気持ちが今は大きくなってきている。ま、どうなるか分からんが。
  • HPを良く見て企業研究をすること
  • 応募しているポジションの内容を確認
  • 自身のキャリアのサマリーを簡潔にまとめておく
  • 応募の理由を明確に
  • 今後のキャリアプランをどのように考えるかを説明できるよう
  • 話は簡潔に
  • 希望年収と現年収を準備すること
今回面接に行くにあたって、エージェントさんに上記のようなアドバイスをもらった。月並みではあるが、悪い意味で面接慣れしてきている今の自分には大変有用なアドバイスである。心してかかろう。応募者に対する面接をたまに行う立場で言っても、特に企業研究の部分はかなり重要だ。その会社で働きたい、という姿勢を見せるのに、最低限HPなどでその企業のことは知っておかなければならない。この辺りがおろそかだと、いくら優秀そうな人材でも、少なくとも心証はかなり悪くなる。

あとは、転職理由と自分の現ポジションでのポートフォリオというか、リマークを簡潔に言えるようにしておかなければいけない。というわけで、企業研究に没頭します。

2009/01/15

大変な1週間 3/3

家に着いてコウコウの様子を確認し、就寝。
もちろんイソジンと手の消毒は忘れない。それからキヨーレオピンも。
マーティに関してはとりあえず峠は越したから、あとは回復を待つだけだろう。コウコウも発見が早かったから、今もらってきたタミフルを全部飲み終える頃には完治しているだろう。

朝。ん、背中がゾクっとする。背中というか全身の肌が敏感になっている感じ。この感じは熱が出る前か出てしまったかに間違いない。やっちまったかぁ。。。。熱を測ると38度6分。ただ、この時点では身体のだるさとかそういうのは一切なかったので、引き続きマーティの所へ行って看病、というか遊び相手を勤めるつもりだった。図鑑持って行ってあげる約束もしてたし。

しかし、一応念のため行きつけの医院で朝一診てもらうようにした。そのとたん何かやり切れないくらいしんどくなってきたような気がする。とにかく、その行きつけの先生のところへ、這うようにして訪ねる。朝一でまだ鍵がかかっていたので、玄関先でしゃがみ込んでいると、先生自ら鍵を開けてくれて、中でお待ちくださいと。相変わらず親切な先生だ。

で、一番初めに診てもらえることになり、インフルエンザのテストを早速してもらう。鼻の粘膜を採取するため、細い綿棒みたいなものを、鼻のかなり奥の方までつっこまれ、グリグリされる。これが結構痛くてしかも長い。グリグリグリグリグリグリグリグリ・・・。もういいんじゃないの?と思ってもまだグリグリ・・・。

グリグリしたのを検査紙になすりつけ、待つこと数分。出てきた結果はやはりバッチリ陽性。はっきりとした2本線が現れていて、A型のインフルエンザであることを示している。マーティ、コウコウと全く同じだ。ま、当たり前か。というわけで、めでたく親子でインフルエンザを共有してしまったわけである。これを聞いたとたん、何やら免罪符を得たかのような気分というか何というか、気持ちがちょっと折れたのが分かった。あ、頑張らなくてもいいや、みたいな。自分もあの恐ろしい病気にかかってしまったのだから。

しかし現実的にはそうも言ってられんわけで。病院には、治りかけとはいえ、まだ完治はしていないマーティがいる。家には若干7ヶ月でインフルエンザにかかってしまった不憫な赤ん坊。そして私は34歳で自分の娘・息子からインフルエンザをもらった間抜けなオッサン。勝負アリだ。赤ん坊の面倒は最低限見なければならない。

悪いことに、ちょうど受験シーズンであるため、相方の仕事が忙しい。今日は塾で出てしまう。その間コウコウの面倒はしっかりと看てやらなければいけない。インフルエンザの特効薬と言われているタミフルをもらってきたが、赤ん坊と2人きりなので、念のためこのタイミングで飲むのは控えておいた。万が一何かやらかしたらいやだし。そういうわけで、面倒看るというか、コウコウと2人で寝ることに。

寝苦しいのか、熱でうなされているのか、コウコウはちっともじっとしていない。ちょっと眠ったかと思えば次の瞬間には何やらうぁうぁ言いながら、布団から這い出している。まさかタミフルの影響かっ?な分けもなく(多分)恐らく熱でつらいのと、慣れないオッサンと一緒に寝なければいけないので、寝にくかったんだろう。引っ張り戻しては寝、寝ては引っ張り戻すというのを繰り返す。しんどい・・・。結局いましめた。いましめというのは、我が家用語で、赤ん坊をダルマのように毛布などで包んでしまうことを言う。モンゴルの赤ん坊とか、その他外国等では結構見られる赤ん坊の包み方だ。で、ようやく落ち着いて寝られた。コウコウにとってはちょっとたまったもんではなかったかもしれないが。。。

そんなこんなで、正直この前後のことはあまり記憶にない。ずっと寝ていた。次の土曜も多分ずっと寝ていたはずだ。途中這い出て薬飲んだり水分摂ったりしたと思う。マーティは土曜に退院と聞いていたが、さすがに我が家がこの状態では、受け入れられないため、義母のところで預かってもらった。

明けて日曜。
少しスッキリした。熱も落ち着いたし何より意識がはっきりしている。まだ全く完治とは言えないが、割と普通に歩いたり動いたり出来るようになってきた。

と、だいたいこんな感じで、あとは徐々に治っていき、未だに若干微熱感とか咳とか鼻水とかは残っているが、別にちょっとした風邪という程度で、インフルエンザは完全に抜け切った感じ。

一方コウコウは、あれから盛んに咳込むようになり、まるで子犬かアザラシのような音を出すようになってきた。この状態が丸2日続いたので、再度病院のERに夜連れて行き、レントゲン検査や気道を広げる治療をして、薬を処方してもらって帰ってきた。コウコウは苦しそうである。

強い薬を飲ませたときは、しばらくは落ち着いた感じであったが、すぐに子犬が復活する。そのせいで本人も眠れないし、一緒に寝ている相方にも相当負担がかかっていた。その状態が4日間続いたので、本日再度病院に連れて行ってもらう。今度は行きつけの小児科だ。するとあまり好ましい状態ではなかったようで、こういう状態が続けば最悪な結果もあり得るとのこと。気道がちゃんと確保できず、呼吸が出来なくなってしまいかねない状態だったよう。

あな恐ろしや。万が一にもそういうことがあったりしたら、それはもう後悔してもしきれないし、それより何より一生立ち直れない。マーティに引き続きコウコウにまでこのエラーである。柔道で言えば指導・指導で「有効」取られちまった感じか。とにかく、今は3時間おきに気道を広げるための何か吸引機みたいなのをさせて、2日ほど様子を見るということである。

さっきこの吸引をさせたが、効果が出ているのか今はスヤスヤと眠っている。今までろくに眠れなかったもんな。ゆっくりおやすみ。

さて、大変な1週間もこれで一応は完結とする。まだコウコウが完治していないが、これは多分このまま快方に向かうだろう(希望的観測)。もう2度とこんなことがないよう、うがい・うがらいちゃんとして、次はワクチン打つようにしよう。

2009/01/13

大変な1週間 2/3

さて木曜日。
会社を休んで朝からマーティのところへ。
朝相方とマーティの部屋へ行ってみると、マーティが所在無さげにベッドの上にちょこんと座って、涙と鼻水をダラダラ流していた。起きてみたら誰もいなくて寂しくなってずっと泣いていたらしい。あぁぁ。。本当に可哀相なことになってしまった。ごめんね、マーティ。

僕が小さい頃熱を出す度、うちのおばあちゃんがうちの母親をこっぴどく叱っていたのを思い出した。子どもの熱は親の責任や!なんて。この言葉は強く強く心に刻んでおこう。まぁ、熱出す度に、というのは多分ちょっと大げさだけど、外出の際寒い思いをさせないとか、手洗いうがいを徹底させるとか、そういう意味だろう。

とにかく、我が家のマーティがひどい顔で座っている。寂しかったと。でもちゃんと意識もしっかりしているようだし、会話も出来ている。ほっと一安心。熱も確か37度ちょっと、随分下がった。担当医から、経過・今後の進め方みたいなものを聞かせてもらう。一応「脳への感染」みたいな危険はないようではあるが、まだ熱もあるし、インフルエンザであることには間違いないので、油断は禁物だ。

そんなところへ持ってきて、弟のコウコウが熱くなってきた?まさか・・・
そう、そのまさかであった。恐れていたことが起こってしまったわけだ。まぁ一緒に生活しているわけだし、接触する機会なぞゴマンとあるわけで。。などとうそぶいてみても、結局ワクチン打ってやらなかった親の責任だ。嗚呼。

ただ、早い段階で発覚し、タミフルを投与し始めることができたのはよかった。タミフルはインフルエンザウィルスの増殖を抑え熱を下げる効果があるらしいので、マーティみたいになってしまうことはきっとないだろう。プラス思考!

それはそれとして、マーティは結構元気で、パパ今日は何して遊ぼうか、という普段どおりのモードで遊べるくらい回復している。病院の売店で買ってきてもらった文房具セットでお絵かきしたり、家から持ってきた本読んだり、いろんなことして遊んだ。昼はちょっと交代してもらい、病院の食堂へ。

付き添いで病院に来るのは、もうかれこれ結構あって、その楽しみといえば何と言っても食堂とか売店の食い物である。その点この病院はなかなかどうして、悪くないじゃない。しかもかなりお安めである。会社の近くにあれば絶対毎日通ってるな。病院の食堂とはいえ侮りがたし、である。

さて病室に戻り、マーティと遊ぶ。変わらず元気な様子。マーティ用の病院食は、これは随分とちょっとアレな感じで。。。いかにも食事制限をされている患者用みたいな感じ。ほんのちょっと味見してみたところ、味自体は別にそれほど不味いわけではない。が、まず見た目が全然ダメ。不味そうにしか見えない。これを3歳の子どもに一口でも食えというのは、ちょっと酷だろう。思ったとおりマーティ姫は一口も召し上がらなかったわけで。しかしこのときは、今後まだ数日続く入院生活であのようなことが起こるとは夢にも思わなかったのであった。

そんなこんなで、夜にはいつものように本を読んで寝かしつけて、寂しく帰路につく。はぁ早く家でマーティと遊びたいな。ふぅ、何かちょっと背中のあたりが寒い感じがするけど、気のせいかな。俺は大丈夫だ。。。

次回に続く

2009/01/12

大変な1週間 1/3

今週末は3連休だったので、さてどうしようかと思う暇も与えられず、大変な週末であった。

事の始めはマーティから。1月7日(水)のこと。
何やらえらい熱が出てしまったと、相方からケータイにメッセージが入った。
ひとまずどんな具合か見てみようと早めに帰ると、何か明らかに様子がおかしい。目がうつろだ。相方が手配してくれていた病院にすぐさま運び込み診てもらうと、インフルエンザ陽性でしかも意識レベルが低い。さらに脳の方にまで影響を及ぼしている疑いがあるとのことで、すぐさま入院することに。

まずは検査をしなければいけないということで、背骨のところから骨髄液みたいなものを採って検査に回すという。それが物凄く痛いようで、悲鳴がずっと聞こえてきて思わず涙がこぼれた。ごめんね、ワクチン打つべきだったね。来年は絶対に家族みんなでワクチンを打とう。

その地獄のようなサンプル採取が何とか終わり、あとは検査結果を待つ。1時間ほどで出ると言われたが、それは長い長い1時間だった。

結果は、、セーフ。脳の方には細菌(かウィルス?)は行っていないとの診断。はぁ。このときばかりは本当にほっとした。ひょっとするとひょっとしてしまったかも知れなかったわけだし。ちょっとしたことで、マーティの人生をめちゃくちゃにしてしまうところだった。話は少し反れるけど、人生棒に振ったり、あるいはその意に反して命を失ったりって、その「ちょっとした」ことが全てじゃないかと。特に親の。「ちょっと目を離した隙に」クルマに轢かれたり、溺れたり、さらわれたり。ほんの「ちょっと」だけど、それが全てを壊してしまう。

話を戻す。とにかくラッキーなことに検査の結果は、最悪の事態に対しては一応は大丈夫ということだった。しかし依然として意識は混迷状態であることには変わらないので、予断は許さない。時間はしかし既に夜中の12時を回っている。この病院は、子どもの入院患者の付き添い宿泊ができないため、泣く泣く、本当に泣く泣く帰宅した。

次の日の記録は、次のエントリーで。

2009/01/03

収拾つかない話

今年早くも2個目のエントリー。よし。

「バカ」キャラブームだ。
テレビを見ても、いわゆるバカを売りにしている芸能人が随分と幅を利かせている。クイズ番組なんかを見ても、何やら小学生レベルの問題を出題して、それを解けないバカっぷりを披露するというようなものが随分と目に付く。

バカの振りをしている芸能人を見て喜ぶのはまぁ勝手だが、このバカブームを作っている意図は果たして何なのか。巷には同じように、本来知っているべきことを知らないということを何故か自慢するリアルバカが増え、さらにナントカ脳科学者なんかが、気持ちいいことだけをやればいいとか、脳が喜ぶことだけやればいいとか、バカを増長させるためのジャスティフィケーションを提供したり。それを真に受けたリアルバカ、およびその予備軍は、それを「楽をする」とか「やりたくない事は一切やらなくていい」と解釈し、端にも棒にもかからないのが益々増加している、気がする。

「自分以外はバカの時代」とか言われていたが、「自分もバカの時代」、「バカであることを自慢する時代」になっているんじゃなかろうか。国際社会における日本の地位低下や、教育レベルの低下が指摘されて久しいが、この傾向は良くなるどころか悪くなる一方だ。

別に学歴信奉者ではないが、ある程度の学歴は最低限あるべきものとは思う。ただし、大学教育が一定以上の質の教育を提供しているという前提でだが。社会を、国をよくしていくには、そういう最低限の教養・知識は備えておくべきじゃないかと思う。

よく(低俗な)メディアなどで、中卒・高卒とかで何か事業を興して大成功して今は億万長者。人生の成功に学歴は関係ない、みたいな話があったりするが、たしかにそういうレアケースもあるにはある。それを真に受け、学歴なんかじゃメシは食えないなどとのたまう輩も多いだろう。しかし大半のアントレプレナーやイノベーターはそれなりの学歴を持っているものだし、大学や大学院での教育が有益であることは間違いない。

バカでもいいとか、学歴などなくても成功できるといった夢・幻想を若い世代が持ってしまっているような国の将来は間違いなく暗い。国が力を入れる政策や戦略は時代とともに変化するが、教育だけは昔も今も変わらず重要なはずだ。きちんと勉強して、高等教育を受けた人間が、当然それなりの地位・収入等得られる世の中にならないと、日本はこのまま衰退し続ける。大学がレベルの高い教育を提供し、その研究成果をビジネスに結び付けられる社会じゃないといけない。

果たして、今3歳の娘が大学に行く頃までには、少しはまともになっているのだろうか。今のところは何としてでも留学させたいと思っているが。。。

収拾つかない感じになってきたので、この辺で。

2009/01/02

2009年の目標リスト

さて2009年、今年の抱負をば。
  1. 100エントリー(今年こそ・・・)
  2. 何らかの形で年収アップ(転職・移籍etc.)
  3. 娘ボールを怒らない。
  4. 朝ちゃんと5時に起きる
  5. 本をもっと読む。具体的には月最低でも2冊ペースで
  6. (できれば)ジム再開
さて、1の100エントリー。今年こそは成し遂げる。

2の年収アップは、多分今のままのポジションにいてもしょうがないので、前々から話をしている内部移籍をするか、あるいは転職をするか。内部移籍に関しては自分の力の及ぶところでは全くないので、まな板の上の鯉状態で、待ってるだけだが、転職に関しては、もう少し積極的な姿勢で挑もうかと思う。内部移籍と転職の両てんびんの体制で攻める感じ。

3の娘ボールを怒らないについて。ずっと一緒にいると、こっぴどく叱り付けることが多くなってきた。言葉が達者な割には、やはり3歳になったばかりという精神の未熟さがアンバランスで、言動にイラつく事が多くなってきた。言うこととやることが一致していないようなことがあると、娘だろうが取引先だろうが何だろうが、僕はインスタントにブチっと来てしまうので、このあたりを冷静に対処できるようにしないといけない。ビジネスする上においては、この癖を大いに生かしていこうと思っているが。

4.朝ちゃんと起きる。それだけ。頑張ろう。

5. 本もっと読む。昨年も同じこと書いていたが、今年は具体的な数値目標を設定してみた。月最低2冊ペースだから、年間24冊以上と。テーマは絞らず乱読で。

6.できればジムを再開したい。太ってきたし、調子もイマイチ。なので、できれば再開したいなぁ。頑張ろう。

2009年はこんな感じで行こう。