2005/10/10

馬鹿と不幸な人間は俺の側に寄るな

いい天気。月曜の出勤はやっぱり「えいっ」という感じで勢いをつけないとな。動けない。

今ある能力を10とする。普段の仕事の中で、常に その範囲内でだけやっていると、その人の10は大きくならない。10の力を持っているなら、常に11、 12以上を必死で出そうとしないと、その10は大きくならない。ない袖は振れないんだから11の力は出せないけど、必死で出そうとすることで、今ある10 という大きさの器は、11が入るだけの容量になる。

欧米社会(あるいは英語圏の社会)では、割ときっちりと自分の役割が決まっていることが多い。例えば、雇用契約書には、ジョブディスクリプションみないなものが書いてあったりする。自分の仕事はこれこれこういう内容のものだと。

あるいは、自分の役割として、これだけの量の仕事をこなせばいいのであって、それ以上(残業などしなければならないようなものについて)は受け付けない。とか。

前 者の、ジョブディスクリプションについて、自分の仕事の範囲を超えるものは、特に大きな組織内ではやるべきではないと思っている。組織の中では役割分担を はっきりさせて、それぞれが責任を持って自分の仕事をこなすべきだろう。もちろんある程度オーバーラップする事はあるし、相互扶助が必要な場面も多々 あるが、まぁそこはそれ。臨機応変だ。馬鹿はそれができないが。馬鹿は隣の芝が青く見えるのか、自分のやるべき事はやらずに、人のやる事に口出しばかりす るものだ。

後者について、確かに自分のキャパシティを超えるものについては、受けるべきではないという考えもあるだろう。例えばキャパを超えてしまったが 故に、サービスの質が落ちて、顧客に対する責任を果たせなくなってしまうから、自分のできる範囲の量の仕事を丁寧にこなすのだ、と。

一理あ るが、常にそんな事をしてると、それはただのアホだ。常に自分の器に入る量の仕事をこなすだけ。器はいくらでも大きくなるのにちっとも大きくしよう としない。しかも若いうちならなおさらだ。これが若いうちの苦労は買ってでもしろという所以だろう。今なら激しくうなずける。

自分のでき る範囲の仕事を丁寧にこなすというスタイルは、揺ぎない経験を積んだ熟練した人達だけに許されるものだ。そうする事がイコール最高の質のサービ スを提供できるわけだから。そうでないならもっと必死で10を11にしようとしなければならない。馬鹿はそれが分からないしできない。「いや、僕はもうこ れだけ案件抱えてるので、これ以上できません」などとのたまいながら、仕事をせずにネットサーフィンなどをしたりするものだ。そして定時になるのを帰り支度をし ながら待つのだろう。

10が11になった時には、多分ちょっと景色が違って見える。成長したのがわかるというか、ひと皮むけたというの か。そうやって、自分の「10」はどんど ん大きくなって行くのだ。それを知る事ができない馬鹿は不幸だ。そして僕は馬鹿と不幸な人間は自分の側には近づけたくない。変な波動とかが出ていそうだからな。

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