2010/04/21

文系・理系って分け方変じゃない?

何か前にも書いた気がするが、文系・理系の振り分けって意味ないと思う。
むしろ間違っている気がする。

文系・理系の分類というのは、学ぶ側のスタンスで分けられたのではなくて、教える側の都合で分類されている気がするのだ。そもそも何かを知ろうとしたり学ぼうとするときに、そういう分類がされてしまっているのは学ぶ側にとってはマイナスにすらなり得る。例えば「文系」に分類されている経済学なんかでは、高度な数学の知識が必要だったりするわけだが、文系志望だし、なんて言って数学をおろそかにしていたりすると確実に苦労する羽目になる。

どういう観点で文系・理系と分類したのか知らないが、求められる能力的には同じ文系でも異なっていたり、文系・理系でオーバーラップしている場合だってあるんじゃないか。例えば「理系」に分類される生物学とか。専門家じゃないからアレだけど、世の中にいる生き物とか植物とかそういったものを観察・分類してそれを研究する。実物というか実地が先行してそれを体系化する。同じように、「文系」に分類される経営学とかも、実社会の商行為や企業活動がまず先行して、それを分析し研究する。そういう意味では生物学と経営学は共通している。

実地先行・観察分析型とは別に、ラボ先行というか研究室主導(脳内型)のものが対極にある。これは理論やラボでの実験等が先行で、その成果が実社会に反映されるものだ。例えば数学とかコンピュータサイエンスなんか典型的なものじゃなかろうか。この分野にはいわゆる「文系」科目が少ない気がするが、法学なんかは少しこの分野になるんじゃないかと思う。法律というのは、「国家権力による強制力を伴った社会規範」と普通は定義されていると思うが、「こうあるべき」みたいな理論みたいなものが先行する事も多いと思う。もちろんその「べき」は社会の事情を反映していなければならないので、そういう意味では、法学は実地先行型と理論先行型のミックスになるか。

医学も多分ミックス型だ。現状発生している病気等の事象を研究し、さらにそれを進めて、研究により疾病を未然に防いだり人工的に臓器を作る技術を開発したりして、実社会に理論や研究をアプライしていく。

普通は高校生のときに、文系に進むか理系に進むかという選択を迫られるわけだが、僕が思うにそんな風に自分を色分けしてしまうのは正直間違っているんじゃないかと思う。何となく国語が得意だったので文系に進んだがために、高度な数学を学ぶチャンスを失うとか。どうして選択肢をわざわざ狭めるようなことを強要するんだろうか。人的リソースを最大限に活用しなきゃならないし、その教育責任者としての学校が何も改革することなく、何十年も前から脈々と続いているこの文系・理系という分類分けを放置しているのは、大罪じゃないかとすら思うのだ。

親世代とかそれ以上の世代の頃からは随分時代も社会の姿も変わっていて、なかなか話も通じなかったりすることが多くなっているけど、教育とか学校のことに関しては、ほとんどギャップを感じずに話をすることができるってのはおかしくないか?僕は両親と同じ高校に通ったんだが、はっきり言って母親の頃と僕の頃に違いは全くといっていいほどない。文系・理系の分類にしろ、学ぶ教科にしろ、その勉強の仕方にしろ、大学受験にしろ、何十年も同じままだ。

教育が変わらないと人は変わらない。もう根本的にちゃんと見直さなきゃいけないんじゃないかと思うよ。とりあえず、文系・理系とかいう時代遅れの分け方はやめようよ。

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