2008/10/31

無限ループ

街を歩いていたり、電車に乗ったりしていると、たまにいわゆる、精神を解放しきっちゃったような人を見かける。あらぬ事を口走ったり、常に変な行動をとっていたり。

あれは他から見るとえらく目立つし、変に見える。明らかに何かおかしいと。
けど多分、本人は全然おかしいとか、恥ずかしいとか、そういう気持ちは全く持っていない事だろうと思う。普通に歩いて普通に電車乗って、普通に話をしている(つもり)んだろうと思う、本人にすれば。

さて、果たして僕はどうなのか。
そういう精神解放者と同じように、僕も当然自分自身では、やってることに対して何かおかしいとか、そういう気持ちは一切ない。「そういう気持ちは一切ない」という点では、解放者と同じだ。じゃあ何が違うと言えるのか。

自分には家族がいて、仕事もし、周りの人達とちゃんとコミュニケーションをとりながら上手くやっているではないか。うん、確かに上手くというか、社会の一員として何もおかしくないように生きている、はずだ。しかしその点においては、解放者だって、自分が何も変だとは思っていないだろう。電車に乗って、時には何か仕事をし、家族の待つ家に帰るのだ。

携帯型音楽プレーヤーを聞きながら、頭の中で歌詞を口ずさむ。声には出さない。しかし実際にはやけに大きな声が出ていて、しかも奇妙奇天烈なことを口走っているかもしれないのだ。

人に聞いてみればすぐに分かるかもしれない。「え、普通に歩いてただけに見えたけど」って言ってくれるかもしれない。しかし解放者に人が、「声でかいよ」と言っても、ひょっとしたら解放者フィルターを通して本人には、「え、普通に歩いてただけに見えたけど」って聞こえてるかもしれない。

僕はどっちなんだろう。今も意味の通るブログを書いている気になっているけど、実際には狂ったことを書いているだけかもしれない、他人から見れば。いや、そもそも何も書いていないかもしれない。

そもそも家族はいるのか。僕の中では確かに存在しているけど、脳内だけにいるのかもしれない。僕はそもそも存在しているのか、いるとしたら今僕が認識しているような形で存在しているのか。ひょっとすると僕は植物状態で、今思っていること、感じていることは全て造りだされた虚構なのかもしれない。そもそも植物状態の人間ですらなくて、何かよく分からない形のものかもしれないし、そもそも形もないのかもしれない。

そんなことを考えながら仕事から帰ってきた。
デカルトの「我思うゆえに我あり」が本当であることを願っています。。。っていうかそもそもデカルトなんて僕の脳内でしか・・・・・

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